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テンプレート:Infobox 作家 ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン[1]John Ronald Reuel Tolkien CBE(大英帝国勲章コマンダー勲爵士)。1892年1月3日 - 1973年9月2日)は英国の文献学者、作家、詩人、大学教授で、なによりも『ホビットの冒険』とその続編『指輪物語』、『シルマリルの物語』の著者として知られている。

オックスフォード大学のローリンソン・ボズワース記念古英語教授(1925年~1945年)。同大学のマートン学寮英語・英文学教授(1945年~1959年)。カトリック教会の敬虔なる信者であった。文学討論グループ「インクリングズ」の会員で、同会所属の英文学者C・S・ルイスの親友であった。1972年3月28日エリザベス2世からCBEを受勲した。

死後残した多量の覚え書きや未発表の草稿をまとめ、息子のクリストファが『シルマリルの物語』をはじめとする一連の作品を出版した。これらは、『ホビットの冒険』、『指輪物語』とあわせ、“アルダ” や "中つ国[2]"と呼ばれる架空の国に関する物語、詩、架空の歴史、人工言語、文学的試論の体系を形作っている。1951年から1955年にかけ、トールキンはこのような書き物の総体を “legendarium” (伝説空間、伝説体系)と呼んでいた。[3]

生涯[]

家系[]

父方の先祖のほとんどは職人であった。故郷は現在のドイツザクセン州にあたる。イギリスに渡ったのは18世紀ごろで、「迅速かつ熱心に、イギリス的に」なったという[4]。苗字の「Tolkien」は、ドイツ語の「Tollkiehn」(注. tollkühnは"無鉄砲"の意)を英語化したものである。強いて語源に沿って英訳するならば、dull-keen(注. 日本語では「鈍い・鋭い」)となるような語であり、あえて矛盾した語を重ねる撞着語法の言葉である[5]

母方の先祖としてジョン・サフィールドおよびエディス・ジェーン・サフィールドの夫妻がおり、バーミンガムに住んでいて、市の中心に店を持ち、1812年以来はLamb Houseと呼ばれるビルで商売をしていた。ウィリアム・サフィールドが書店と文房具屋を経営していたのである。曾祖父も前述の祖先と同じ名のジョン・サフィールドという名で、1826年から、服地と靴下を商っていた[6]

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子供時代[]

オレンジ自由国(現在は南アフリカ共和国の一部)のブルームフォンテーンで、イギリスの銀行支店長アーサー・ローウェル・トールキン(1857-1896)と妻メイベル・トールキン(旧姓サフィールド) (1870-1904) の間に生まれた。1894年2月17日生まれのヒラリー・アーサー・ロウエルという弟が一人いる[7]

アフリカに住んでいたとき、庭でタランチュラに噛み付かれた[8]。これは、彼の物語で後に類似したことが起こる出来事である。3歳の時母と共にイングランドに行った。当初はちょっとした親族訪問のつもりだったが、父アーサーは家族と合流する前に脳溢血で倒れてしまい、南アフリカでリューマチ熱により亡くなってしまった[9]。家族の収入が無くなってしまったので、母は彼女の両親としばらく住むためにバーミンガムに行き、1896年には(現在はホール・グリーンにある)セアホールに移った。ここは当時ウースターシャーの村で、現在はバーミンガムの一部である[10]。トールキンはセアホールの水車小屋やMoseley BogやLickey Hillsの探索を楽しんだようで、この地での経験も、BromsgroveやAlcesterやAlvechurchといったウースターシャーの町や村や、おばの袋小路屋敷(Bag End)と同様、その後の作品に影響を与えたと思われる[11]

母は二人の息子たちの教育に熱心で、トールキンが熱心な生徒であったことは、家族の中で知られていた[12]植物学に多くの時間を割き、息子に植物を見たり感じる楽しみを目覚めさせた。若きトールキンは風景と木を描くのを好んだが、好きな科目は言語関係で、母は早いうちからラテン語の基本を教えた[13]。その結果ラテン語を4歳までには読めるようになり、やがてすぐにすらすらと書けるようになった。バーミンガムのキング・エドワード校に入学して、バッキンガム宮殿の門に掲示されたジョージ5世の戴冠式のパレードの「道順を決める」のに協力した[14]セント・フィリップス校、そしてオックスフォード大学のエクセター学寮に進む。

1900年、母はバプテストであった親戚の猛烈な反対を押し切ってローマ・カトリックに改宗した[15]ため、全ての財政援助は中断された。その母は1904年糖尿病で亡くなり、トールキンは母が信仰の殉教者であったと思うようになった[16]。この出来事はカトリックへの信仰に深い影響をもたらしたようで、信仰がいかに敬虔で深かったかということは、C・S・ルイスキリスト教に改宗させた際にもよく現れている。しかしルイスが英国国教会を選び大いに失望することになった[17]

孤児となったトールキンを育てたのは、バーミンガムのエッジバーストン地区にある、バーミンガムオラトリオ会のフランシス・シャヴィエル・モーガン司祭であった。トールキンはPerrott's Follyとエッジバーストン水道施設のビクトリア風の塔の影に住むことになる。この頃の住環境は、作品に登場する様々な暗い塔のイメージの源泉となったようである。別に強い影響を与えたのは、エドワード・バーン=ジョーンズラファエル前派ロマン主義の絵画だった。バーミンガム美術館には、大きくて世界的に有名なコレクションがあり、それを1908年頃から無料で公開していた。

青年時代[]

16歳のときに3歳年上のエディス・メアリ・ブラットと出会い、恋に落ちた。だがフランシス神父は、会うことも話すことも文通することも21歳になるまで禁じ、この禁止に忠実に従った[18]

1911年バーミンガムキング・エドワード校に在学中、3人の友人のロブ・キルター・ギルソン、ジェフリー・バッチ・スミス、クリストファ・ワイズマンと共に、「T.C.B.S.」と呼んだ「秘密結社」を作った。学校の近くのバロウズの店や学校図書館で不法にお茶を飲むことを好むことを示す「ティー・クラブとバロヴィアン・ソサエティ」の頭文字を取った名である[19]。学校を去った後もメンバーは連絡を保ち続け、1914年12月にロンドンのワイズマンの家で「協議会」を開いた。トールキンは、この出会いから詩を作りたいと強く思うようになる。

1911年夏、友人たちとスイスに遊びに行ったが、1968年の手紙[20]にその生き生きとした記録が残されている。彼ら12人がインターラーケンからラウターブルンネンまでミュレンを通り、氷堆石で野営しに冒険したことが、(「石と一緒に松林まで滑ることを含めて」)霧ふり山脈を越えるビルボの旅のもとになっていることを指摘している。57年後まで、ユングフラウシルバーホルン(「私の夢の銀枝山Silvertine(ケレブディル)」)の万年雪を見て、そこから去るときの後悔を覚えていた。彼等はクライネ・シャイデックを越えグリンデルワルトへ向かい、グレッセ・シャイデックを過ぎてマイリンゲンに、さらにグリムゼル峠を越え、アッパーヴァレー州を通りブリーク、そして、アレッチ氷河ツェルマットに着いた。

21回目の誕生日の晩、エディスに愛を告白した手紙を書いて、自分と結婚するように彼女に頼んだが、返信には「自分を忘れてしまったと思ったので、婚約した」とあった。ふたりは鉄道陸橋の下で出会い、愛を新たにする。エディスは指輪を返し、トールキンと結婚する道を選んだ[21]1913年1月にバーミンガムで婚約後、エディスはトールキンの主張に従いカトリックに改宗した[22]1916年3月22日イングランドウォリックで結婚した[23]

1915年に優秀な成績で英語の学位を取り(エクセター学寮で学んでいた)オックスフォード大学を卒業した後に、第一次世界大戦イギリス陸軍に従軍し、少尉としてランカシャー・フュージリアーズの第11大隊に所属した[24]。大隊は1916年にフランスに移動し、ソンムの戦いの間通信士官として、10月27日塹壕熱を患うまで勤め、11月8日イギリスに戻った[25]。多くの親友も同然だった人たちも含め、自軍兵士たちが激戦で次々と命を落した。スタッフォードシャーグレート・ヘイウッドで療養していた間に、「ゴンドリンの陥落」に始まる、後に『失われた物語の書』と呼ばれるものについての着想が芽生え始めたとされる。1917年から1918年にかけて、病気が再発したが、あちこちの基地での本国任務ができるほど回復して、中尉に昇進した。 ある日キングストン・アポン・ハルに配置されたとき、夫婦でロス近くの森に行き、そして、エディスは彼のためにヘムロック(ドクニンジン)の花の咲いた開けた野原で踊り始めた。「私たちはヘムロックの白い花の海の中を歩いた」[26]。この事件からがベレンルーシエンの出会いの話の着想をえ、トールキンがしばしばエディスを彼のルーシエンと呼んだ[27]

キャリア[]

第一次大戦後、軍役を解かれての最初の仕事は、オックスフォード英語辞典の編纂作業だった。トールキンはWで始まるゲルマン系の単語の語誌や語源をおもに担当した[28]1920年リーズ大学で英語学の講師の地位を得、1924年教授となったが、1925年秋から、ペンブローク学寮に籍を置くローリンソン・ボズワース記念アングロ・サクソン語教授として、オックスフォードに戻った[29]

ペンブロークにいる間に『ホビットの冒険』と『指輪物語』の『旅の仲間』と『二つの塔』を書く。また1928年Mortimer WheelerグロスターシャーLydney ParkAsclepieion(古代ローマの診療所)の発掘を行うのを助けた[30]。学術刊行物の中では特に1936年に講演され、翌年に出版された“Beowulf: the Monsters and the Critics”は『ベーオウルフ』研究において、また広くお古英語文学研究において、時代を画するほどの大きな影響を与えた[31]。Lewis E. Nicholsonは、トールキンの『ベーオウルフ』に関する論文は「『ベーオウルフ』批評の大きな転機として広く認識された」と述べ、純粋に歴史学的要素より詩学的な本質に迫る要素を評価したことを認めている。[32]。しかしまた、いわゆる言語学的な要素のみならず、広い意味での文献学的な研究への道を切り拓いたとも言える。事実、彼は書簡の中で『ベーオウルフ』を「『ベーオウルフ』は私の最も評価する源泉の一つである」と高く評価した。[33] 実際に『指輪物語』には、『ベーオウルフ』からの多くの影響が見出される[34]。これを書いた頃は、『ベーオウルフ』の中で描かれる歴史的な部族間の戦争の記録は重視する一方、子供っぽい空想に見られるような怪物との戦いの場面を軽視するのが、研究者たちの一致した見方だった。トールキンは、特定の部族の政治を超越した人間の運命を『ベーオウルフ』の作者は書こうとしたのであって、それ故に怪物の存在は詩に不可欠だったと主張した(逆に、Finnesburgの戦いの挿話および古英詩断片のように、『ベーオウルフ』やその他の古英詩中で部族間の特定の戦いを描くところでは、空想的な要素を読みこむことに異論を唱えた)[35]

1945年にはオックスフォードのマートン学寮に籍を置くマートン記念英語英文学教授となり、1959年に引退するまでその職位にいた。1948年に『指輪物語』を完成、最初の構想からおよそ10年間後のことであった。1950年代にはStoke-on-Trentにある息子のジョン・フランシスの家で、学寮の長い休日の多くを過ごした。イギリスの田園をむしばむと考えた、工業化の副作用を激しく嫌悪していたのである。成人後の人生の大部分のあいだ、自動車を忌み嫌い、自転車に乗るのを好んだ[36]。この態度は『指輪物語』における、ホビット庄の無理矢理な工業化など、作品のいくつかの部分からも見て取ることができる。

妻エディスとの間には4人の子供を儲けた。ジョン・フランシス師(1917年11月16日-2003年1月22日)、マイケル・ヒラリー・ロウエル(1920年10月-1984年)、クリストファ・ジョン・ロウエル1924年11月21日)、そしてプリシラ・アン・ロウエル(1929年)である。

W・H・オーデンは『指輪物語』に熱狂し手紙を書いたことをきっかけに、しばしば文通する長年の友人となった。オーデンは、出版当初から作品を称賛した評論家の中で最も高名なひとりだった。トールキンは1971年の手紙で、

「近年私は非常に深くオーデンに世話になっている。彼が私を支持してくれて、私の作品に関心を持ってくれるので、非常に元気づけられた。一般にはそういう批評がなかった最初の頃に、彼は非常に良い批評や手紙を送ってくれた。実際、彼はそれの為にあざけられた」

と書いた[37]

引退と晩年[]

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オックスフォードのWolvercote墓地にあるJ・R・R・トールキンと妻のエディス・トールキンの墓

オクスフォードのWolvercote墓地には夫妻の墓があり、中つ国の最も有名な恋物語の一つから、「ベレン」そして「ルーシエン」の名が刻まれている。

著作[]

最初の文学野心は詩人であることだったが、若い頃の第一の創作欲は架空言語の創造だった。それらは後でクウェンヤシンダール語に発展するエルフ語の初期の形態を含んでいた。 言語がそれを話す民族を指し示し、民族が言語の様式と視点を反映する物語を明らかにすると信じて、(この名前が紛らわしいと考えるようになったのでいくらか後悔することになるが)後にエルフと呼ぶようになった伝説の妖精についての神話と物語を書き始めた(英語で書いたが、かれの創造した言語の多くの名前や用語を含んでいた)。 第一次世界大戦の間、療養中に書きはじめた『失われた物語の書』にはベレンとルーシエンの恋物語が含まれ、これらは後に長い物語詩The Lays of Beleriandとしてまとめられ、自身が完成できなかった『シルマリルの物語』にも発展して含まれることになる。トールキンが繰り返し構想を変えていったことについては、死後に刊行された『中つ国の歴史』 The History of Middle-earthシリーズにしめされている。

トールキンの作品は、ヨーロッパの神話から多くの影響を受けている。『ベーオウルフ』『エッダ』といったアングロサクソンや北欧神話といったゲルマン民族や、ケルト神話やフィンランドの『カレワラ』などの他の同様の源がある。

このまじめな大人向けの作品に加えて、トールキンは自分の子供たちを喜ばせるために話を作ることを楽しみにしていた。毎年毎年、「サンタクロースからのクリスマスレター」をしたため、一続きのお話を添えた。これらの小話はのちに一冊の本にまとめられ、『クリスマスレター付き サンタ・クロースからの手紙』として出版された。

だがトールキンは、自分の空想物語が一般に受け入れられるとは夢想だにしなかった。かつての学生のとりなしで1937年に『ホビットの冒険』と題された本を出版すると、子供向けを意図したにもかかわらず大人にも読まれ、出版社 (Allen & Unwin) が続編の執筆を要請するほどの人気を呼んだ。これがトールキンを刺激することになり、1954年から1955年にかけて、最も有名な作品となる叙事詩的小説『指輪物語』が上梓された。『指輪物語』はしばしば「三部作」と表現されるが、本来は一編の物語である。現在、三部作として扱われることがあるのは、最初の出版時に編集上の都合で分冊されたのが定着したからである。このサガを書き上げるまでにほぼ10年かかったが、その間インクリングズの仲間たち、中でも『ナルニア国ものがたり』の作者で親友のC・S・ルイスは絶えず支援を続けた。『ホビットの冒険』も『指輪物語』も、『シルマリルの物語』の神話に続く物語であり、トールキンが書くときにはっきり述べていたように、ずっと後の物語である(どちらも、現在からは遥か昔のこととして書かれている)。

1960年代、『指輪物語』はアメリカの多くの学生たちの間で好評を博し、ちょっとした社会現象となった。現在でも世界中で高い人気を保っている『指輪物語』は、売上の点からも読者の評価という点からも、20世紀における最も人気の高い小説の一つとなった。英国のBBCとWaterstone's bookstore chainが行った読者の世論調査で『指輪物語』は20世紀の最も偉大な本と認められた。amazon.comの1999年の顧客の投票では、『指輪物語』は千年紀で最も偉大な本となった。2002年には、BBCの行った「最も偉大な英国人」の投票で92位に、2004年に南アフリカで行われた投票では「最も偉大な南アフリカ人」の35位になった。英国人および南アフリカ人のトップ100の両方に現われるのはトールキンだけである。その人気は英語圏だけにとどまらず、2004年には100万人を越えるドイツの人々が、『指輪物語(ドイツ題:Der Herr Der Ringe)』が広範囲の文学のうち最も好きな作品として投票した。

トールキンは当初、『指輪物語』を『ホビットの冒険』のような児童書にしようと考えていたが、書き進めるにつれ次第に難解で重々しい物語となっていった。『ホビットの冒険』と直に繋がる物語であるにもかかわらず、より充分に成熟した読者を対象とするようになり、また後に『シルマリルの物語』やその他の死後出版された書籍に見られるような膨大な中つ国の歴史を構築し、それを背景にして書き上げた。この手法と出来上がった作品群の緻密で壮大な世界観は、『指輪物語』の成功に続いて出来上がったファンタジー文学というジャンルに多大な影響を残した。

文献学のエキスパートであり、研究した言語や神話学は彼の創作にはっきりと影響を残している。『ホビットの冒険』のドワーフの名前は『エッダ』の『巫女の予言』から取られた。また例えば「龍の蓄えからカップを盗む泥棒」などという一節は『ベオウルフ』から取られている。トールキンはベオウルフについての認められた権威で、詩についていくつかの重要な作品を出版した。かつては出版されなかったトールキンの『ベオウルフ』の翻訳は、Michael Droutが編集した。

中つ国の歴史は死の直前まで書き続けている。息子のクリストファは、ファンタジー作家ガイ・ゲイブリエル・ケイの助力を得て、素材の幾つかを一冊の本にまとめ、1977年に『シルマリルの物語(The Silmarillion)』として出版した。クリストファはその後も中つ国創造の背景資料の刊行を意欲的に続けた(ただしその多くは未邦訳)。『中つ国の正典』シリーズや『終わらざりし物語』のような死後に発表された作品には、トールキンが数十年もの間、神話を考察し続け、絶えず書き直し、再編集し、そうして物語を拡張し続けていた結果、未完成だったり、放棄されたり、どちらかを選ばなければならない内容や、明らかに矛盾する内容の草稿が含まれている。『シルマリルの物語』だけは『指輪物語』との一貫性を維持するべく、クリストファは編集にかなりの労力を費やした。しかしクリストファ自身も『シルマリルの物語』には多くの矛盾が残っていると認めている。1951年の第二版で一つの章が抜本的に改訂された『ホビットの冒険』でさえ、『指輪物語』と完全に辻褄があっているわけではない。

アメリカウィスコンシン州ミルウォーキーにあるマーケット大学の図書館は、トールキンの手書き原稿や覚書き、及び手紙の多くを保存している。一方オックスフォードのBodleian図書館には、『シルマリルの物語』関係の書類と学術的な資料などが残されている。その他『指輪物語』と『ホビットの冒険』の手書き原稿および校正刷り、『農夫ジャイルズの冒険』といった多くの「マイナーな」作品の手書き原稿、ファンの作った編集作品といったものまでが、貴重な資料として巷に出回っている。

言語[]

詳しくはアルダの言語を参照のこと。

文献学、言語に関する研究は最も好きな学問であり、それが高じて約15の人工言語を発明するまでになった。中でも『指輪物語』の二つのエルフの言語、「クウェンヤ」と「シンダール語」は特に有名である。更にこの言語が誕生した背景としての、中つ国に間する宇宙論歴史までも詳細に創り上げている。

彼の専門であるアングロ・サクソン語(古英語)や古ノルド語に加えて、ウェールズ語ゲール語フランス語スペイン語イタリア語、その他のロマンス諸語古サクソン語のようなドイツ語オランダ語の初期の形のゲルマン諸語リトアニア語のようなバルト諸語ロシア語のようなスラブ諸語、その他多数のヨーロッパの言語に様々な水準で通じていた。個人的な手紙の中でトールキンは、特にフィンランド語(インド・ヨーロッパ語族ではない)が彼の耳に心地よく響き、これがクウェンヤの着想を与えたと書いている。クウェンヤはかれの発明した言語の中で最も重要とされる。

言語の面では本の人気以上に、以後のファンタジー文学の中で広く永続的な影響を残している。言葉の使い方、特にドワーフの複数形を標準の「dwarfs」ではなく「dwarves」としたり、エルフの形容詞形を「elfish」ではなく「elvish」と表記するのはもはや常識となっている。

関連作品[]

詳しくはJ・R・R・トールキンの影響を受けた作品を参照。

1951年のミルトン・ウォルドマンへの手紙(Letters #131)の中でトールキンは「多少なりとも繋がっている伝説」を創造した意図に関して次のように書いた。

「循環は威厳のある全体に繋がりながら、絵画および音楽およびドラマという手段で他の人たちの心や手が参加する範囲を残すべきである」

多くの芸術家がトールキンの作品に触発された。トールキンが個人的に知っていたのは、ポーリン・ベインズ(トールキンの好きな『トム・ボンバディルの冒険』と『農夫ジャイルズの冒険』のイラストレーター)と、ドナルド・スワン(『道は続くよどこまでも』に曲を付けた)だった。1970年代初期、デンマークマルグレーテ2世は『指輪物語』のイラストを描いた。作品を贈られたトールキンは、女王のイラストと彼自身の絵の様式との類似点に驚いたという。

しかし生前に行われた著作に基づいた別の分野の作品をほとんど評価せず、時にはこっぴどくこきおろした。

1946年の手紙(Letters #107)では、ドイツ版『ホビットの冒険』ためのホルス・エンゲルスのイラストの提案に対して、あまりにもディズニー的であると拒否した。

「たれた鼻のビルボ、わたしの意図したオーディンのような放浪者でなく下品な道化になってしまったガンダルフ」

またアメリカのファンダムの出現にも懐疑的で、1954年にアメリカ版の『指輪物語』のブックカバーの提案に次のように回答している(Letters #144)。

「『宣伝文』の案を送ってくれてありがとう。アメリカ人は概して批判または修正に全く従順ではない。しかし彼らはたいして努力していないので、私が改善するためにかなり努力をせざるを得ないと感じる」

そして1958年、Morton Grady Zimmermanが提案した映画化構想に対し、いらいらした様子でこう書いている(Letters #207)。

「著者の焦燥(しばしば憤慨していること)を理解するのに充分想像力を働かせるようお願いしたい。彼は自分の作品が一般に不注意に、場合によっては無謀に扱われ、どこを探しても敬意の払われている印がないのに気付いている」

この手紙には脚本の場面ごとの批判などがとうとうと続く(「またしても、けたたましい音や、ほとんど無意味な切りあいの場面である」)。しかしトールキンは映画化という考えについて全く反対していた訳ではない。1968年、彼は『ホビットの冒険』と『指輪物語』の映画化、上演権および商品権をユナイテッド・アーティスツに売った。その際製作への影響を懸念して、将来にわたりディズニーが関与することを一切禁止した(Letters #13, 1937年)。

「アメリカ人が心地よく見るために可能な限り(中略)、(わたしがその作品について心からの嫌悪している)ディズニー・スタジオ自身のものか、それに影響を受けたもの全てを拒否することを(中略)忠告しておいたほうがいいだろう」

ジョン・ブアマンが70年代に実写による映画化を計画したものの、結局ユナイテッド・アーティスツは1976年に製作の権利をソール・ゼインツ社の傘下にあったトールキン・エンタープライズに売却。ユナイテッド・アーティスツが配給にまわって最初に実現した映画化は『指輪物語』のアニメーション作品だった。ラルフ・バクシ監督によるロトスコーピング手法で製作され、1978年に公開された。

その後『指輪物語』の配給権はミラマックス社を経てニューラインシネマ社に移り、2001年から2003年にかけてピーター・ジャクソンの監督によって三部作の映画として初めて実写映画化され、娯楽性に重きを置いた内容で空前の大ヒットを記録した。

書誌[]

創作[]

  • 1936年 Songs for the Philologists, E.V. Gordon他と共著
  • 1937年ホビットの冒険The Hobbit or There and Back again
  • 1945年ニグルの木の葉Leaf by Niggle Dublin Review誌に掲載
    • 『農夫ジャイルズの冒険 トールキン小品集』2002年 ISBN 4-566-02110-6 所収
  • 1945年領主と奥方の物語(レー)The Lay of Aotrou and Itroun, Welsh Review誌に掲載
    • 辺見葉子訳、「ユリイカ」1992年7月号所収、青土社
  • 1949年農夫ジャイルズの冒険Farmer Giles of Ham
    • 『農夫ジャイルズの冒険 トールキン小品集』2002年 ISBN 4-566-02110-6 所収
  • 1953年 The Homecoming of Beorhtnoth, Beorhthelm's Son 論考 Ofermodとともに出版された
  • 指輪物語The Lord of the Rings
    • 1954年 第一部『旅の仲間』The Fellowship of the Ring
    • 1954年 第二部『二つの塔』The Two Towers
    • 1955年 第三部『王の帰還』The Return of the King
  • 1962年 『トム・ボンバディルの冒険』The Adventure of Tom Bombadil
    • 『農夫ジャイルズの冒険 トールキン小品集』2002年 ISBN 4-566-02110-6 所収
  • 1964年 『樹と葉』Tree and Leaf
    • 『妖精物語について』
      • 『妖精物語について ファンタジーの世界』 猪熊葉子訳 評論社 2003年 ISBN 4-566-02111-4 所収
    • 『ニグルの木の葉』
      • 『農夫ジャイルズの冒険 トールキン小品集』2002年 ISBN 4-566-02110-6 所収
  • 1966年 The Tolkien Reader (The Homecoming of Beorhtnoth Beorthelm's Son, On Fairy Stories, 『樹と葉』, 『農夫ジャイルズの冒険』および『トム・ボンバディルの冒険』)
  • 1966年 Tolkien on Tolkien (自伝的)
  • 1967年星をのんだかじやSmith of Wootton Major
    • 『農夫ジャイルズの冒険 トールキン小品集』2002年 ISBN 4-566-02110-6 所収
  • 1967年道は続くよどこまでもThe Road Goes Ever On, ドナルド・スワンと共著

学術的な著作[]

  • 1922年 A Middle English Vocabulary
  • 1924年 Sir Gawain and the Green Knight E. V. Gordonと共著
  • 1925年 Some Contributions to Middle-English Lexicography
  • 1925年 The Devil's Coach Horses
  • 1929年 Ancrene Wisse and Hali Meiohad
  • 1932年 The Name 'Nodens' (Report on the Excavation of the Prehistoric, Roman, and Post-Roman Site in Lydney Park, Gloucestershire所収)
  • 1932年/1935年 Sigelwara Land parts I and II
  • 1934年 The Reeve's Tale (ジェフリー・チョーサーの『カンタベリー物語』の批評にHengwrt manuscriptを導入して、方言のユーモアを再発見した)
  • 1937年 Beowulf: The Monster and the Critics
  • 1944年 Sir Orfeo
  • 1947年妖精物語についてOn Fairy Stories Essays Presented to Charles Williamsに掲載
    • 『妖精物語について ファンタジーの世界』 猪熊葉子訳 評論社 2003年 ISBN 4-566-02111-4 所収
  • 1953年 Ofermod, The Homecoming of Beorhtnoth, Beorhthelm's Sonとともに出版。
  • 1962年 Ancrene Wisse: the Ancrene Riwleの英語テキスト。
  • 1963年 English and Welsh
  • 1966年エルサレム聖書Jerusalem Bible (翻訳と索引を担当)

没後に出版された作品[]

  • 1974年 『ビルボの別れの歌』Bilbo’s Last Song
    • 『ビルボの別れの歌』脇明子訳 ポーリン・ベインズ絵 岩波書店 1991年 ISBN 4-00-110613-2
  • 1975年 Guide to the Names in The Lord of the Rings (編集版) - Jared Lobdell編 A Tolkien Compass 1st edition 所収。トールキンが書いた『指輪物語』の翻訳指示。
  • 1975年 Pearl (poem)Sir Orfeoの翻訳
  • 1976年 『サンタ・クロースからの手紙』The Father Christmas Letters
    • 『サンタ・クロースからの手紙』 ベイリー・トールキン編 瀬田貞二訳 J・R・R・トールキン絵 評論社 1976年 ISBN 4-566-00228-4
  • 1977年シルマリルの物語The Silmarillion
  • 1979年 Pictures by J. R. R. Tolkien
  • 1980年終わらざりし物語Unfinished Tales
  • 1980年 Poems and Stories (『トム・ボンバディルの冒険'』、The Homecoming of Beorhtnoth Beorhthelm's Son、『妖精物語について』、『ニグルの木の葉』、『農夫ジャイルズの冒険』および『星をのんだかじや』をまとめたもの)
  • 1981年 The Letters of J. R. R. Tolkien Selected and edited by Humphrey Carpenter with assistance of Christopher Tolkien
  • 1981年 The Old English Exodus Text
  • 1982年 Finn and Hengest: The Fragment and the Episode
  • 1982年 『ブリスさん』Mr. Bliss
    • 『ブリスさん』田中明子訳 J・R・R・トールキン絵 評論社 1993年 ISBN 4-566-01321-9
  • 1983年 The Monster and the Critics and Other Essays (論考集)
  • 1988年 『樹と葉』Tree and Leaf
    • 『妖精物語について』
    • 『ニグルの木の葉』
    • 『神話の創造』Mythopoetia
    • 上記すべて『妖精物語について ファンタジーの世界』 猪熊葉子訳 評論社 2003年 ISBN 4-566-02111-4 所収
  • 1983年2002年中つ国の歴史The History of Middle-Earth シリーズ
    • I. 1983年 The Book of Lost Tales 1
    • II. 1984年 The Book of Lost Tales 2
    • III. 1985年 The Lays of Beleriand
    • IV. 1986年 The Shaping of Middle-earth
    • V. 1987年 The Lost Road and Other Writings
    • VI. 1988年 The Return of the Shadow (『指輪物語の歴史』The History of The Lord of the Rings v.1)
    • VII. 1989年 The Treason of Isengard (The History of The Lord of the Rings v.2)
    • VIII. 1990年 The War of the Ring (The History of The Lord of the Rings v.3)
    • IX. 1992年 Sauron Defeated (The History of The Lord of the Rings v.4)
    • X. 1993年 Morgoth's Ring (The Later Silmarillion v.1)
    • XI. 1994年 The War of the Jewels (The Later Silmarillion v.2)
    • XII. 1996年 The Peoples of Middle-earth
    • 2002年 The History of Middle-earth Index
  • 1994年 Poems from 'The Lord of the Rings'
    • 『「中つ国」のうた』 瀬田貞二・田中明子訳 アラン・リー挿画 評論社 2004年 ISBN 4-566-02381-8
  • 1995年 J. R. R. Tolkien: Artist and Illustrator (a compilation of Tolkien's art)
  • 1995年 Poems from 'The Hobbit'
  • 1997年 Tales from the Perilous Realm
    • 「農夫ジャイルズの冒険」Farmer Giles of Ham
    • 「トム・ボンバディルの冒険」The Adventure of Tom Bombadil
    • 「ニグルの木の葉」Leaf by Niggle
    • 「星をのんだかじや」Smith of Wootton Major
    • 上記すべて、『農夫ジャイルズの冒険 トールキン小品集』2002年 ISBN 4-566-02110-6 所収
  • 1995年 『クリスマスレター付き サンタ・クロースからの手紙』Letters from Father Christmas
    • 『クリスマスレター付き サンタ・クロースからの手紙』 瀬田貞二・田中明子訳 J・R・R・トールキン絵 1995年 評論社 ISBN 4-566-00458-9
  • 1998年 『仔犬のローヴァーの冒険』Roverandom
    • 『仔犬のローヴァーの冒険』 クリスティーナ・スカルウェイン・G・ハモンド編 山本史郎訳 J・R・R・トールキン絵 原書房 1999年 ISBN 4-562-03205-7
  • 2002年 Beowulf and the Critics(Medieval and Renaissance Texts and Studies, Volume 248) Michael D.C. Drout 編
  • 2005年 Guide to the Names in The Lord of the Rings (完全版) - Wayne Hammond and Christina Scull 編 The Lord of the Rings: A Reader's Companion所収。トールキンが書いた『指輪物語』の翻訳指示。
  • 2007年 The Children of Húrin
  • 2007年 The History of The Hobb
  • 2009年 The Legend of Sigurd and Gudrún

入手可能な日本語訳[]

  • ホビットの冒険
  • 指輪物語
  • シルマリルの物語
  • 『農夫ジャイルズの冒険 トールキン小品集』 評論社 2002年 ISBN 4-566-02110-6
    • 「農夫ジャイルズの冒険」吉田新一ポーリン・ダイアナ・ベインズ挿絵
    • 「星をのんだかじや」猪熊葉子訳 ポーリン・ダイアナ・ベインズ挿絵
    • 「ニグルの木の葉」猪熊葉子訳
    • 「トム・ボンバディルの冒険」早乙女忠訳 ポーリン・ダイアナ・ベインズ挿絵
  • 『農夫ジャイルズの冒険』吉田新一訳 ポーリン・ベインズ画 1991年 評論社 てのり文庫 ISBN 4-566-02273-0
  • 『星をのんだかじや』猪熊葉子訳 ポーリン・ベインズ画 評論社 てのり文庫 1991年 ISBN 4-566-02270-6
  • 『ビルボの別れの歌』脇明子訳 ポーリン・ベインズ絵 岩波書店 1991年 ISBN 4-00-110613-2
  • 『サンタ・クロースからの手紙』 ベイリー・トールキン編 瀬田貞二訳 J・R・R・トールキン絵 評論社 1976年 ISBN 4-566-00228-4
  • 終わらざりし物語』上/下 クリストファ・トールキン編 山下なるや訳 河出書房新社 2003年 ISBN 4-309-20396-5 ISBN 4-309-20397-3
  • 『ブリスさん』田中明子訳 J・R・R・トールキン絵 1993年 ISBN 4-566-01321-9
  • 『クリスマスレター付き サンタ・クロースからの手紙』 瀬田貞二・田中明子訳 J・R・R・トールキン絵 1995年 評論社 ISBN 4-566-00458-9
  • 『妖精物語について ファンタジーの世界』 猪熊葉子訳 評論社 2003年 ISBN 4-566-02111-4
    • 「妖精物語とは何か」
    • 「ニグルの木の葉」
    • 「神話の創造」
  • 『仔犬のローヴァーの冒険』 クリスティーナ・スカルウェイン・G・ハモンド編 山本史郎訳 J・R・R・トールキン絵 原書房 1999年 ISBN 4-562-03205-7
  • 『ファーザー・クリスマス―サンタ・クロースからの手紙』ベイリー・トールキン編 瀬田貞二・田中明子訳 2006年 評論社 ISBN 4-566-02383-4

脚注[]

  1. Tolkien の発音については The Return of the Shadow: The History of The Lord of the Rings, Part One [Edited by] Christopher Tolkien, London: Unwin Hyman [25 August] 1988 (The History of Middle-earth; 6) ISBN 0-04-440162-0 に拠れば「トルキーン」 テンプレート:IPA (太字はアクセント)。アクセントの位置は完全に一致している訳ではなく、トールキン家には第二音節にアクセントを置いて「トルキーンテンプレート:IPA と発音していた人もいた。
    小学館ランダムハウス英和大辞典 第2版ISBN 4-09-510101-6 に拠れば英音で「トルキーン」 テンプレート:IPA 、米音で「トウルキーン、タルキーン」 テンプレート:IPA
    研究社英米文学辞典ISBN 4767430003 ではトルキーンと記されており、また『「熊谷市」と「トルキーン」――固有名詞の読み方の変化に関する一考察 』(鈴木聡、『月刊言語 』2005年1月号(大修館書店)掲載)によればトーキンと呼ぶ人もある。
    また、Reuel の発音については『小学館ランダムハウス英和大辞典 第2版 』(前掲)に拠れば「ルーエル」 テンプレート:IPA
  2. 中つ国とは古英語「ミッダンイェアルド」から直接、あるいは古北欧語「ミズガルズル」からの借入が混じって、英語史の音声学的変遷を経て中世から現代まで受け継がれた英単語で、ウォルター・スコットやナサニエル・ホーソーンなども自分の作品中で使っている。天と地の間にある、人間が住むことができる土地を意味する。
  3. テンプレート:ME-ref
  4. テンプレート:ME-ref
  5. 因みに「ラッシュボールド(Rashbold)」という苗字が、『The Notion Club Papers』という作品で学部学生ジョン・ジェスロ・ラッシュボールドとペンブロークの老教授ラッシュボールドの二人の人物名として登場するが、それはトールキンという名前のもじりである。Sauron Defeated, page 151, Letters, 165)。
  6. 取り壊される前のジョン・サフィールドの店 - Birmingham.gov.uk
  7. テンプレート:ME-ref
  8. テンプレート:ME-ref
  9. テンプレート:ME-ref
  10. テンプレート:ME-ref
  11. テンプレート:ME-ref
  12. テンプレート:ME-ref
  13. テンプレート:Cite web
  14. テンプレート:ME-ref
  15. テンプレート:ME-ref
  16. テンプレート:ME-ref
  17. テンプレート:Cite book
  18. テンプレート:Cite web
  19. テンプレート:ME-ref
  20. テンプレート:ME-ref
  21. テンプレート:ME-ref
  22. テンプレート:ME-ref
  23. テンプレート:ME-ref
  24. テンプレート:ME-ref
  25. テンプレート:ME-ref
  26. 田舎の方言で、トールキンは散形花序の白い花を持つ毒ニンジンに類似した様々な植物をhemlock'ドクニンジン'と呼んだ。エディスが踊った場所に咲く花は、おそらくコシャク(Anthriscus sylvestris)かニンジン(Daucus carota)だろう。John Garth Tolkien and the Great War (HarperCollins/Houghton Mifflin 2003) and Peter Gilliver, Jeremy Marshall, & Edmund Weiner The Ring of Words (OUP 2006)を参照のこと。
  27. テンプレート:Cite web
  28. テンプレート:Cite book
  29. テンプレート:ME-ref
  30. The Name Nodens (1932)参照。
  31. テンプレート:ME-ref
  32. テンプレート:Cite web
  33. カーペンター、ハンフリー編 クリストファー・トールキン共編The Letters of J. R. R. Tolkien ロンドン:ジョージ・アレン・アンド・アンウィン、1981年, No. 25, p.31. ISBN 0-04-826005-3
  34. テンプレート:Cite web
  35. Tolkien: Finn and Hengest. 主に、Alan BlissのIntroductionのpp. 4-5ほか、Eotenaの語義を幻想的に解釈して「巨人」の意味で解するか、「ジュート族」を表す語と解釈するかについてはFinn and Hengest内の随所で議論される。
  36. テンプレート:ME-ref
  37. テンプレート:ME-ref

参考文献[]

  • 『或る伝記』:ハンフリー・カーペンター著(菅原啓州訳)『J・R・R・トールキン―或る伝記』、評論社、1982年。 ISBN 4-566-02064-9
  • テンプレート:Cite book
  • Letters: テンプレート:Cite book

外部リンク[]

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日本以外[]